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回復を続ける方法の見つけ方 ― Sさんの体験談

※この体験談は、塩竈断酒例会に通うSさんのお話をもとに、ライター わら☆のくろ が執筆しました。

はじめての断酒例会

2019年7月4日、入院中の病院で初めて『断酒例会[1]に参加した。宮城県断酒会[2]が主催する『院内例会[3]である。

そのとき私は、断酒会も例会も何かよく知らなかった。入院生活に慣れた患者がこぞって参加する様子を見て、なんとなく参加した。病院の生活にも慣れ、ヒマを持て余していた頃だったので、ちょうどよい感覚だった。


「言いっぱなし」と「聞きっぱなし」の輪

例会参加者は世代、性別、関係性がバラバラだった。当事者でない人も見られた。例会中はプライバシー保護のため、メモは禁止されていた。

例会が始まり、発言者の「言いっぱなし」と、聞き入る「聞きっぱなし」の輪が会場を囲んだ。参加者の「言いっぱなし」はどれも内容が濃く重い。

「酒が入っていたから、しょうがないよね」などという生易しいものではない。常軌を逸した繰り返し飲酒と傍若無人の振る舞いが、こぼれるように、とつとつと語られた。

酒と血の匂いが漂うようで生々しかった。映画やドラマの話ではない、本当の壮絶な酒害体験に思わず引いてしまう。


心の中の否定と迷い

「自分はそこまでひどくない。家族や職場に迷惑をかけたとは思うが、ここまで悲惨ではない…」

そうとらえながら他人事として受け流し、冷静さを保とうと耐えていた。

「この人たちほど、自分は落ちていない」

と、心の中で精一杯の否定をして取り繕う、自分。

「オレも同じだったくせに、いや、それ以下だったかもしれない…」

と、何度も胸の内で行ったり来たりしていた。

「言いっぱなし」の順番は淡々と流れる。誰も他人の話を笑ったり、批判したりはしない。順番が回ってきても「今日は…話すことはありません」とパスすることも許されていた。

参加者は皆、静かに聞き、ただ語る。透き通った時間が流れる空間。


初めての「言いっぱなし」

自分の番となり、あいさつ早々に「言いっぱなし」を切り上げた記憶しかない。今振り返れば、静かさの圧に圧倒されたのだと思う。

この日の私はまだ「自助グループに参加する意味」も「断酒の難しさ」も理解していなかった。断酒例会という独特の空気感の中で「語ることも語らないことも自由である」と感じたのは確かだ。


退院後の断酒例会参加

同年9月、私は退院し、塩竈市の断酒例会に初めて参加した。

なぜ退院しても断酒例会に通おうと考えたのか?

もちろん入院中に医師から教わった3つの約束[4]の一つである『自助グループへの参加』を守るためである。一方で「家族の信頼など、もう取り戻せない」と分かっていたが、「償いの姿勢を示そう」という自分なりの意思表示でもあった。

「また格好だけ」と思われても仕方がない。

「今はできることをして、とりあえず酒から遠ざかろう」

と考えた結果であった。

そこから現在までつながる、自分で見つけた【回復を続ける方法】が始まった。


228回の参加

断酒例会への参加は228回となった。(2025年7月11日現在)途中、転職により1年半ほど例会から離れたが、また通い始めた。通院も再開した。

不思議なことに、飲まない日が続くと、飲んでいた頃の記憶が鮮明になる。飲んだくれのあの頃のどうしようもない自分を、斜め上から見下ろしているような感覚。


共通する構図

断酒例会に通い続けて、思うことがある。どんな体験談も「他人事ではない」と感じる。

アルコール依存症者に共通していたのは、

「自分を責めて責めて、責め抜いた果てに依存症に行きついた」

という構図であった。原因や経緯は違っても、他人の辛い依存症体験に触れたとき、同じ症状をたどった人は共感を覚えるのかもしれない。

誰かの一言に救われた記憶はない。だが、

「自助グループに通うことは、自分を平常に保つ方法である」

という参加者の共通認識には、強くうなずいた。


正しい答えではなく

断酒例会は、正しい答えを教えてくれる場ではない。けれど、

「こんな自分でもやり直せるんだ」

と感じさせてくれる声が、あちこちにある。それだけで充分だった。


自由という危うさ

私たちは自由だ。自由に酒を飲み、自由に依存症にもなれる。今の私は退院し、自由の中に戻っている。そしてその自由は、いつでも「次の一杯」に手を伸ばせるという危うさをはらんだ場でもある。

もしスリップ[5]したとしても、「飲んでませんよ」と嘘をつくのは簡単だろう。だが自分に嘘をついた瞬間から、「自己嫌悪の歯車」が回転し始める。

自己嫌悪から逃れるために酒を飲み、また嘘をつき、そしてまた飲む…やがて「負のスパイラル」から抜け出せなくなる。


週に一度の確認

だから私は週に一度、断酒例会に通っている。そこで確認するのだ。

「今週は飲まなかった」

ということを。そして、

「来週も飲まない」

と心の中で自分に言い聞かせる。それが断酒例会であり、それだけの繰り返しで私は踏みとどまっているに過ぎない。


何かを取り戻すこと

『断酒必携 指針と規範[6]に書かれていた一節がある。

酒を断つということは、何かを失うことではなく、何かを取り戻すことである

私はいま、その意味が少しずつ分かってきた気がする。


伝えたいこと

たった一週間でも、飲まずに過ごせたら、それは確かな回復の一歩だ。退院直後で不安な人にも、自助グループに通うのをやめてしまった人にも伝えたい。

自助グループへ戻るのに理由はいらない。ただ、来ればいい。私もひとりのアルコール依存症者として来ているのだから。


[1] 断酒会が主催するグループミーティング。

[2] 全日本断酒連盟に加盟する地方組織。

[3] アルコール依存症治療専門病院内で開催されるグループミーティング。主催は断酒会であり、断酒会員のみならず外来患者、入院患者も参加できる。

[4] 「通院、抗酒剤、自助グループ」が『3つの約束』

[5] 依存症治療期間中の回復過程における一時的な後退を指す専門用語。アルコール依存症の場合、一度飲酒をやめた人が再び飲酒すること。英語の”slip”(滑る、過ちを犯す)からきており、回復の道から滑り落ちる、失敗するという意味合いを持つ。

[6] 全日本断酒連盟が発行するテキスト本。塩竈例会では同テキスト本の読み合わせを行っている。

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